セビロの未来予想図
日本人が着る最上級の礼服は何か?
日本のフォーマルウェア
江戸時代まで和服を着ていた日本人が、明治維新後に洋服を着始めておおむね150年ほど経ちました。
平服はもちろん洋式礼服も、日本政府は、積極的に導入してきました。
その結果、今日の日本人のスーツの着こなしは、世界的にみてまずまず合格点を与えられるレベルだと思います。
しかしながら、日本における洋式礼装はどうでしょうか。
フォーマルウェアのルールってホントのところ何が正しいのか、昼と夜で何をどう着替えるべきなのか、イマイチ分かりづらいところもあります。
この礼服の決まり事について、ファッション業界の人たちと話しをしても三者三様の話を聞かされます。
もちろん、ファッション業界の人間が、必ずしもフォーマルウェアの歴史に精通しているとは限りません。
それにしても、ファッションに携わる人たちがです。
なぜ三者三様になってしまうのでしょうか。
これでは、一般の人々には、フォーマルウエアのルールが、理解不能なのは致し方ないことになります。
それでは、ヨーロッパの人々は、どういうルールにのっとって、フォーマルウエアを着こなしているのでしょうか。
そこで、礼服の中でも男性が着るべき正礼装の着こなしについて、TPOの中でも昼と夜で着分けることを中心に、まず三通りの考え方を述べていきます。
次に、19世紀以降の欧米と日本の歴史を踏まえて礼服について検証していきます。
最後に、今までは何が正しかったのか、そして今後、日本の男性は正礼装で何をどう着こなせばいいのかを、考えていきます。
三通りの考え方
・その1 礼服は、昼と夜で着分けるのが正しい
モーニングコートやディレクターズスーツは、昼間に映えます。
光りモノは避けながらも、カラフルなモノをワンポイントに加えれば、昼の礼装としてぴったりです。
燕尾服やタキシードは、夜が似合います。
ジャケットの襟の拝絹やエナメルの靴は、夜の光に映えるように出来ています。
ほとんどの人は、アフターファイブという単語を、知っていると思います。
私は、紳士服店に長く勤めていました。
私自身と多くの先輩や同僚、また、他のメンズショップで働くスタッフの多くも、昼と夜で着分けるのが、カッコイイと思っています。
・その2 礼服は、式典と宴で着分けるのが正しい
式典にふさわしいモーニングコートは、結婚式に新郎が着ると映えますよね。
宴にはやっぱり燕尾服でしょう。
晩餐会や音楽会にふさわしいです。
だからまれに、式典が夜から始まるにしてもモーニングを着るべきであり、朝や昼間でも宴なら、正しい礼服は燕尾服です。
話の前半は筋論ですよね。納得できます。
東京や横浜にある老舗テーラーの大先輩の方々からも、聴く話です。
けれども、話の後半はどうも腑に落ちない。
ただしこれは、日本人の働き方の問題であって、昼間しっかり働き、夜は自分を充実させる時間に充てれば解決します。
少しだけ考えてほしい。
組閣とはいえ往々にして夜中に新大臣たちが集まって記念撮影の為に、モーニングコートを着ますよね、ここがおかしいんです。
メディアの人たちも残業ですよね。
ナマで観ている我々も寝不足です。
朝の9時から夕方5時の間に済ませられるように、ぜひとも新大臣たちには、自分たちの働き方改革を進めていただきたい。
本来、二つの問題は対立するのではなくリンクするものです。
しかしながらファション業界の方々は、この問題を話し始めるといつもカンカンガクガクで一向にらちがあきません。
結論が出ません。
でもじつは、それには次の “日本独自の問題” が絡んでくるからなんです。
・その3 礼服は、行事の大小で着分けるのが正しい
明治4年(1871年)に新政府である太政官が、廃藩置県を断行し、散髪脱刀令という法令を出しました。
翌明治5年(1872年)には大礼服、通常礼服(燕尾服、小礼服ともいう)を制定します。
これにより明治の日本人はヨーロッパに起源を持つ洋服による礼服を、昼か夜かではなく、式典か宴かでもなく、行事の大小、格式の上下で着分けることになりました。
元々日本での和式礼装はこのような決まりごとです。
日本人は、昼と夜で着分ける習慣がありません。
加えていえば和式礼服は、身分を表すものです。
小川直子氏の著書『フロックコートと羽織袴 礼服規範の形成と近代日本』(勁草書房)によれば、『「通常礼服」として制定された衣服形態(上衣前面のウエスト部分がカットされ、背中から尻にかけては長めの裾を有する形)は、欧米の作法に倣えば「夜会服」であって、午前および昼間の行事に着用するべき服装ではなかったことから、当時、欧米視察から戻った政府上層部や外務省の面々はそれらを問題視した。』とあります。
その解決のため、明治10年(1877年)に通常服(フロックコート)が昼の通常礼服として換用出来るようになりました。
本来ならこの明治という時代にインターナショナルなプロトコールを日本国民に知ってもらうために洋装化を推し進めればよかったはずです。
事実、明治初期の日本政府は暗中模索を繰り返しながら、欧米の風俗風習を見習って取り入れようとしました。
しかしここ日本では、そもそも時間帯によって服を着分ける習慣がありません。どうにも上手くいかなかったようです。
試行錯誤の末、残念ながら、明治20年頃から洋服のフォーマルウエアを使いながら、日本国内専用のドメスティックルールとでもいうべき日本的な規則にシフトしていくことになります。
日本独自規格でガラパゴス化する。
ニッポンアルアルですよね。
でも「ここは日本だぞ!日本人はそもそも昼と夜で服を着分ける習慣がない。だから日本人が日本国内において日本に合うルールを作って何がおかしい」、「とにかく日本政府が決めたんだから、日本人はその通りにするのが正しいんだ」、という考え方もあります。
しかしながら「洋服って西洋服の略ですよね。だから最低限西洋人に笑われない格好をしましょうよ、和服じゃないんだから」、とも言える。
ちなみに19世紀の欧米が舞台の洋画や海外ドラマを観ると、1800~1830年代では、燕尾服の原型のような服、すなわち初期のテールコートを、昼間から着ています。
それが1860~1870年代ではほぼ現代の燕尾服(イブニングテールコート)の形になり夜会服になっている。
洋画や海外ドラマの時代考証が正しければ、欧米では1850年頃に燕尾服が夜会服として着られる習慣が出来たことになります。
もしかしたら明治の初期に、日本における規則を作った人たちは、1850年前後の欧米において、テールコートが夜会服に進化して燕尾服(イブニングテールコート)になった成り立ちを、咀嚼しきれず決めてしまったのではないか。
そして日本人は、一度決めたルールをなかなか変えられない、という国民性も加わったのではないか。
そういう仮説も、完全には否定できません。
もっとも日本における礼服の決まり事は、日本が1870年代に決めたことなので、上記の仮説は、可能性としては低いかなと思います。
1800年当時は、初期のテールコートのことを、カットインコートまたはチェックインフロックコート、などと呼んでいました。
ところが現在においては、18世紀末から現代に至るまでの間の、裾が燕の尾のようなコートを総称して、テールコートと呼んでいます。
なので、ここでも総称として呼ぶときは、「テールコート」を使います。
また、このテールコートの明治時代の和訳が、「燕尾」なのです。
少々ややこしくなってきましたね。
そこで、現代の夜会服である燕尾服には「イブニングテールコート」とイブニングを付けて区別します。
ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画『山猫』(1963年)は、1860年代、現在の南イタリアにあるシチリア島が舞台です。
その島の貴族でパレルモの領主であるサリーナ公爵が、領民を晩餐に招待するシーンがあります。
ところがいざ晩餐において、公爵とその男性家族は「イブニングテールコート」ではなく「フロックコート」を着ていました。
この映画は、何回も見ているのですが、このシーンが疑問でした。
でも原作『山猫』G•T•ランペドゥーサ著 佐藤朔訳(河出文庫)の日本語訳を読んで納得しました。
「彼はたった一つだけ妥協することにした。明らかに夜会服をもっていないお客たちを困らせないように、彼は夜会服を着ないで、姿をあらわした。」
公爵は、領民達がおそらく「イブニングテールコート」を持っていないであろうことを気にかけ、昼間の服装である「フロックコート」を着て迎え入れたのでした。
つまり、昼は絶対に「フロックコート」を着て、夜は必ず「イブニングテールコート」を着なければいけないガンジガラメの規則やルールがあるわけではないのです。
コミニティー間の同意や慣習として、プロトコールがあるわけです。
日本人である私は、上下関係において上の人が正装をして下の人が略服や平服を着てもそんなに違和感を感じないのですが、欧米において、このシチュエーションでは、横並びが良かったのでしょう。
そこで貴族は、自分の領地でコミニティーの一員である領民を思い、晩餐において「フロックコート」を着て、まわりに合わせたわけです。
もっともこのあと、続きがあります。
招待したブルジョワが、「イブニングテールコート」を着て近づいてくるのです。
「彼は前兆や象徴には敏感だったから、いまや革命が、白いネクタイと黒い上衣を着けて階段を上がってくるような気がした。(中略)夜会服で登場する客を昼間の服装で迎えなければならないのだ。」
サリーナ公爵は、たいへん当惑することになるのです。
ところで、フォーマルウエアの日本語訳は「礼服」です。
直訳すれば、形服、型式的な服、正式な服ということでしょう。
それをなぜ、「礼服」と訳したのでしょうか。
礼は誰に対して行うのでしょうか。
そうです、天皇陛下に対してです。
中島渉氏は、『スーツの法則』(小学館)の中で、国会本会議場における装いについて疑問を呈しています。
それは国会の開会式でのことです。
「天皇陛下はモーニングコートを着用される。しかし、衆参議長以外にモーニングコート姿の議員はいない。天皇陛下は国会に到着されると、衆議院ではなく参議院に向かわれる。これはかつて貴族院だった時代の名残であるだろう。ならばこそ、男性議員はモーニングコートを、女性はアフタヌーンドレスか白襟紋付を着用するのが礼というものではあるまいか。」ということを書いていました。
なるほど欧米の事情通にして洋服も熟知している中島氏らしいもっともな意見ですね。
しかしながら、もし日本の国会議員の方々が、天皇陛下と同じ格好ではおそれ多い、そういうことは、はばかられる、という思いで平服であるスーツを着ているのだとしたら、それはそれで日本人のメンタリティとして理解できます。
元々日本において、礼服は身分を表すものだからです。
そうです、ここでのズレも、欧米人のフォーマルウエアに対する考え方と、日本人の礼服に対する捉え方の違いを表していると思います。
明治時代から続くパワーゲーム問題
他にもドメスティックルールが作られていった理由として、明治政府と地方とのパワーゲームがあったことが考えられます。
明治5年当時、下級武士出身の大久保利通や木戸孝允ら明治政府での要人たちが、旧藩の殿様をさしおいて和服での大礼服を着ることがはばかられたということが考えられます。そういう意味では下級公家出身の岩倉具視も同じ思いだったのではないでしょうか。
こういうパワーバランスをひっくり返すべく、洋式礼装による大礼服や通常礼服の決まりごとを東京の政府が中心となってつくりたかったのかもしれません。
地元に帰れば、かつては旧藩主の家来であったかもしれないが、今では東京で天皇の朝臣です。
中央政府としてイニシアチブを取りたかったはずです。
洋式礼装の決め事は、明治政府にとってもパワーゲームのツールになっていったという事も考えられます。
何にしてもこの国では140年以上も前から洋装礼服による昼と夜の区別の問題を引きずったまま現在に至っていることになります。
テールコートのその後
1850年代以降、「テールコート」のうち「イブニングテールコート」は夜着ると映える色や素材を取り入れて夜会服に進化し、現在にまで至ってます。
そして、もう一つの「テールコート」である大礼服は、引き続き昼間でも着られていました。
しかし第二次世界大戦後、日本において、大礼服は廃止になりました。
いっぽうヨーロッパにおいては、少なくても20世紀の終わり頃までは、王族の結婚式において、詰襟の軍服で、裾が燕尾型の正装を新郎と親族が日中着用していました。
ちなみにそのときの男性の列席者達は、モーニングコートでした。
中野香織氏の『スーツの神話』(文春新書)に「スーツ下剋上の法則」が出てきます。
それによると、「フォーマル・ウエアの王者として全盛期を謳歌した服は、あとから出現するカジュアルな服にその座を奪われてきたのである。」とあります。
年月が経つとフォーマルウエアは廃れて、本来カジュアルだった服が正装に昇格する、そういう歴史が洋服にはあるということです。
その結果なのでしょうか、日本において大礼服は廃止になり、通常礼服の燕尾服(イブニングテールコート)が格上げになり、大礼服の跡を継ぐことになったと考えられます。
燕尾服(イブニングテールコート)の話を整理します。
国際的には、1850年頃から夜(イブニング)の正礼装になりました。
日本国内においては、1950年頃から昼夜を問わず最上級の礼服になり、現在に至ってます。
日本の新郎は何を着る
フォーマルウエアを着分けるポイントは、その1の昼と夜、その2の式典と宴、そして日本国内限定ですが、その3の行事の大小、この3点は、すべて正しかったことになります。
だからといって、今後もこのままでいいのでしょうか?
そろそろ結論を出したいと思います。
これからの日本において、日中の最上級の礼服は何が正しいと思いますか。
例えば、午前中の結婚式において、新郎は何を着るのが相応しいでしょう。
日本での最上級の礼服である燕尾服(イブニングテールコート)がいいですか。
それとも、貸衣装屋さんによくある白かシルバーのフロックコートですか。
やはり私は、その1の、モーニングコートが正しいと思います。
ただし、貸衣装屋さんが、半分コスプレのつもりでカラフルなフロックコートを貸し出すくらいなら、いっそのこと貸衣装屋さんには、「テールコート」(裾が燕尾型のコート)の初期型を、復活させて貸し出して欲しいと思っています。
「テールコート」なら、その3で説明した、日本において明治から始まった洋装150年の歴史を、肯定できます。
なんといっても、詰衿型の大礼服は、カッコイイですよね。
ただし、詰襟は軍服や戦争を連想させるので抵抗があるのなら、開衿型のダブル前もいいと思います。
上着の色は本来なら、黒またはチャコールグレイがいいのでしょう。
でも個人的には、紺も好きです。
トラウザースは思いきって、ベージュから白色にします。
そうです、これこそ燕尾服のルーツであり19世紀初期の紳士のスタイルなのです。
ファッション関係の方ならボーブランメルの肖像画のスタイルといえば分かっていただけるかと思います。
これならヨーロッパの人達が見て「レトロですね」と思われるかもしれませんが、「夜会服を日中着るのはおかしいですよ」、とはいわれないでしょう。
意味づけとしては、日本は19世紀に開国し西欧文明を取り入れてきました。
その当時の決め事や気持ちを今でも大切に守っている、というのはどうでしょう。
「テールコート」の歴史は長いので、19世紀の前半と後半で若干ディテールが違いますが、それでもある程度は、スジが通るかなと思います。
ただし、懐古趣味になりすぎないことが大切です。
そのためには、シルエットに今の時代らしさを取り入れる。
スカーフやウエストコートの色や柄に自分らしさや、今の時代を象徴するものを取り入れる。
ブーツは、さすがにやりすぎでしょう。
単なるコスプレにしないことです。
明治のノストラジーを出しつつ、シルエットと小物で今の時代と自分のアイデンティティを表現できたらカッコイイですよね。
ところでこれって、クラシックなスーツをクラシックな着方だけでコーディネートすると、間違ってはいないけど、洒落っ気がないのと同じことですよね。
今を感じさせる素材や色を、バランス良く取り入れ、組み合わせて着こなしをする。
服を着こなすということは、決められたルールの中で、コーディネートを楽しむということではないでしょうか。
※参考文献
小川直子 『フロックコートと羽織袴 礼装規範の形成と近代日本』(勁草書房) 2016年
G•T•ランペドゥーサ 『山猫』 佐藤朔訳 (河出文庫) 2004年
中島渉 『スーツの法則』(小学館) 2006年
中野香織 『スーツの神話』(文春新書) 2000年
※参考映画
『山猫』 Il Gattopardo (1963 イタリア&フランス)
監督:ルキーノ・ヴィスコンティ
出演:バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ